2016年(16年目)のトリライを振り返る!

投稿者: | 11月 23, 2020

えっと「20年を振り返る」が連投で巻き巻きモードに突入しました。(無計画ですみません)

ということで2016年はJ3初参戦。

年間30試合で19勝7敗4分(勝ち点61でJ3優勝)との結果。

いまや全国区となったカタノサッカーの初年度だが、自陣からでもボールをつなぐ異質なポゼッションサッカーがJ3リーグでいきなり見れた訳ではありません。

リーグ開幕後3連勝で好スタートしたが10戦して5勝4敗1分と5月一杯までは苦労していました。

スタジアムで観戦していても自陣からつなぐというより間が悪いバックパスにしか見えず、観客席から「下げるな攻めろー」との罵声(厳しめの声援ともいう)が飛んでいたくらい。

カタノサッカーは一日にして成らず。

振り返るとシーズン前半は試行錯誤しながらボールポゼッション技術の向上に努め、後半は怒涛の5連勝をしてなんとかJ3優勝を決めた。(今の土台を作った時代です)

さて、2016年のトリライはまた転勤の年であります。(大分に戻った年)

2004年に単身赴任で神奈川県川崎市と横浜市に住み、2013年に2度目の川崎市住まい(今度は家族連れ)となった後、2016年3月末に神奈川県を離れることになる。

アウェイ生活であれど神奈川県は第二の故郷です。(しみじみと)

4月から大分に戻ってホーム生活となるが、当時のJ3はスカパーの放送が注目試合のみの放送でアウェイ戦が見れないという苦行に陥る。

ドームに来場するアウェイサポーターも極小で1999年のJ2元年を思い出させるほど。

大分へ戻ったこともあるが、結局この年はアウェイへ足を運んでおらず、ホーム戦のみで暮らすことになる。

この年のホーム戦で一番記憶にあるのは高松の引退試合(第29節@ホーム最終戦)。

スタジアムで高松を泣きながら見送った私だが、今は大分市政を案じている。